2013年3月31日日曜日

現役通訳者が書評をしたら【1】『バイリンガルの子供たち』

『バイリンガルの子供たち』(唐須教光)を通読した。マンハッタンのブックオフでたまたま目にし、衝動買いしたもの。バイリンガル論には興味があるし、同著者による『なぜ子どもに英語なのか―バイリンガルのすすめ』(日本放送出版協会)も読み、彼が子どもを「バイリンガル」に育てた経験に興味を持っていたことも理由の1つである。

通読して一番印象に残ったのは「ちょっと過激なあとがき」。日本が安全なのは「管理」があるから、米国が安全ではないのは「自由」があるから、と言明する。一理あるが、この管理/自由の二項対立では割り切れない部分、たとえば米国社会のみかけ上の「自由」の裏にある「管理」体制はどうなのか。一見自由にみえる社会だが、たとえばくしゃみをしたら”Bless you”と「言わなければならない」、相手の目をみてしまったら作り笑いを「しなければならない」、等々。いわんや政府の管理体制をや(空港の管理体制をみれば、米国は世界で最も厳しい管理体制を貫いている一国であることがわかる)。また「自由」に託けた自由すぎる、好き放題な行動はどうなるのか。

ここで「主体」の管理、規律について学問的に突き詰めたフランス人哲学者ミシェル・フーコーを思い出す。管理、規律を超えた自由な社会をユートピア(?)として描き、晩年はお気に入りの米国サンフランシスコによく滞在していたと伝え聞くフーコー。唐須さんもフーコーの境地まで辿り付き、僕がそこまで辿り付いてないだけなのだろうか。