2013年8月4日日曜日

現役通訳者が書評をしたら【17】『負け犬の遠吠え』

10年ほど前に話題になった『負け犬の遠吠え』(講談社、2003年)。「負け犬」という語が登場した際、この言葉は「遠吠え」のように儚く消えていく流行語に終わると思われた。しかし悲しいかな(?)、10年経った現在でも十分に流通しており、列記とした辞書の一部を構成する用語となった(と思う)。

著者の酒井順子は自身が「負け犬」。「負け犬」とは酒井の定義によると「未婚、子ナシ、三十代以上の女性」(p. 7)。自身が「負け犬」だからこそ「負け犬」が気になるのであり、本を一冊著すほどまでに掘り下げて考えるのだ。


では負け犬の特徴とは?まず負け犬は老人臭い。

「負け犬の内面はずいぶんと老人臭いものなのです。それというのも負け犬には、自分のことだけを考える時間が、老人と同じくらいにたっぷりあるから。勝ち犬達が、結婚生活の維持とか子育てといったことに躍起になっている間、負け犬はひたすら内省しながら生活しています。ああでもない、こうでもない……と考えていく結果、精神はずいぶんと擦れ、老成し、諦念のようなものが浮かんでくる」(p. 136)。

「負け犬派の人々は、三十代前半から老後のことを考えています。一人でいて退屈しない方法を若
い時から開発し、一人メシや一人旅の楽しみ方も心得ている」(p. 205)。

「理想のグループホーム作りに燃えるか。それとも、一人暮らしを続けて、最後までたっぷりの孤独とたっぷりの自由の中で、生きるのか。……いずれにしても負け犬の生活のハイライトは老いてからにあり、なのだとは思います。」(p. 82)

こんな方、あなたの周りにも1人はいるだろう。

そして孤独な負け犬は「依存症」に罹る。歌舞伎や文楽といった日本の伝統文化にはまり、手芸にはまり、鉄道旅行にはまる。

また、大学や就職で地方にとどまらず、都会へと出てくる傾向にある。「自由」「個性」「可能性」といった言葉を好むからだ。都会は負け犬にやさしい。深夜でも開いている本屋、映画館、カフェ、マッサージ、ドンキホーテ……とハード面では事欠かず、ソフト面でも都会の無関心は負け犬にやさしい。

加えて、面倒くさ くて同性同士の方が分かり合えると「軽ホモ・軽レズ」(p. 69)に走る。だが、男の友達がまったくいない訳ではない。『ブリジット・ジョーンズの日記』『Sex and the City』『アリー・myラブ』等の「海外負け犬文学」(このネーミングも卓抜だ)では負け犬の男友達はゲイと決まっているが、日本の負け犬の男友達は幼馴染や司法試験を目指して浪人中の男友達、となる。

酒井はとことん(自分を含む)負け犬を相対化・客体化していくので、笑いと本書を繰る手は止まらない。デートを自慢する同世代の負け犬仲間に白髪があったり、 キンキ・キッズのコンサートに行ったと満面の笑みで語る負け犬仲間の目尻のシワが笑みが消えても残り続けているのを見ると「何か深ーい闇を覗いてしまった気分」(p. 190)になる酒井。またおしゃれな負け犬と話していたら胃が悪いのか息が臭かったり、高校時代にモテていた負け犬の顔にソバカスではなくシミが出現していたり、顔ではなく首や鎖骨付近にシワがよっているのをみて「恐怖心が募る」(p. 191)。文字通り(笑)である。

酒井の筆は負け犬の分析にとどまらず、処方箋まで出してくれる。負け犬の酒井は負け犬予備軍にやさしい。彼女たちに向けて「負け犬にならないための十か条」を説いてくれるのだ。

1. 不倫をしない
2. 「……っすよ」と言わない
3. 腕を組まない
4. 女性誌を読む
5. ナチュラルストッキングを愛用する(ナチュストは勝ち犬の象徴的存在で、エロさがある)
6. 一人旅はしない
7. 同性に嫌われることを恐れない
8. 名字で呼ばれないようにする(男性から名字で呼ばれることは、男性にとって気を遣わなくていい「壁紙にような存在感」[p. 257]を醸し出していることを意味する)
9. 「大丈夫」って言わない(自分で何でもできる人、というイメージが出来てしまう)
10. 長期的視野のもとで物事を考える(勝ち犬は「安定した老後を得るために、ナチュラルストッキングをはき続けることができる人」[p. 260]であり、「面白いことより、将来的に得なこと」[p. 21]を考えられる人である)

酒井のやさしさはここにとどまらない。すでに負け犬になってしまった「同志」に対しては「負け犬になってしまってからの十か条」を説く。

1. 悲惨すぎない先輩負け犬の友達を持つ
2. 崇拝者をキープ(異性で自分を崇拝してくれる友人を保持する)
3. セックス経験を喧伝しない
4. 落ち込んだ時の対処方法を開発する
5. 外見はそこそこキープ
6. 特定の負け犬とだけツルまない
7. 産んでいない子の歳は数えない(「あの人と結婚して子どもを産んでいればその子は今頃に何歳に……」と考えない)
8. 身体を鍛える
9. 愛玩要求を放出させる(年下の異性を愛玩扱いしないように小動物や観葉植物にその愛玩心を転移させる)
10. 突き抜ける(勝ち犬にはできない人生を送る)

ちなみに本書には「オス負け犬」というコラムが挿入されているが、上記の2つの十か条は「未婚、子ナシ、三十代以上の男性」である「オス負け犬」の僕にも参考になる信条だ。

これまで、小説家では坂口安吾、三木清、伊藤整、社会学者では作田啓一・・・らが孤独論を書いてきた。最近では上野千鶴子のベストセラー『おひとりさまの老後』(法研、2007年)もある。本書をメタの、歴史的な視点で位置付けてみると、酒井は、その系譜上で本書を通じて現代の孤独論を展開した、と言えるだろう。もちろん、「負け犬」という卓抜なネーミングを考案し、自分という負け犬をとことん相対化することを通じて。