2015年2月22日日曜日

現役通訳者が書評をしたら【21】『英語は女を救うのか』



『英語は女を救うのか』(2011年、筑摩書房)上野千鶴子のもとで指導を受けた北村文による書。上野の80年代の作品『女は世界を救えるか』(ちなみに上野の著作の中では個人的に最も好きな作品の1つ)を十分に意識している書名である。

「英語は女を救うのか」という研究設問を立てた北村は、「英語に関わりのある三六名の女性たちにインタビューすることを通じて」(p. 14)この問いに答えようとする。

結論は「英語は女を救うこともあれば、救わないこともある」という身も蓋もないもの。掲載されているインタビューの詳細を読む(窃視症的)快楽は、社会学者ゴフマンの著作のディーテールを読む楽しみと似ているが、それ以外にハッとするような発見があるわけではない。

と感じながら読み進めていたら、最終章である第5章の分析が圧巻だった。それは黒人であり、女性であり、同性愛者であったオードリ・ロードを引きながら、英語を使う日本人女性を表象した部分だ。北村はオードリの1984年のエッセイ「The master’s tools will never dismantle the master’s house」(『Sister outsider: Essays and speeches by Audre LordeFreedom: Crossing Press)から次の文章を引用する。

主人の道具は決して主人の家を壊すことができない。私たちは彼らが作ったゲームにおいて、つかの間の勝利を味わうことがあるかもしれないけれど、それで真の変化をもたらすことなどできない。主人の家だけが自分を守ってくれるとおもっているような女たちには、これは恐ろしい事実だろうけど。(p. 197[原著p. 112]

そして北村は、英語は三六人の女性にとって、そして東洋の英語非母語話者であるわれわれにとって「主人の道具」ようなものであると例える。

しかし北村がロードと異なるのは、北村は「主人の道具」としての英語が「真の変化をもたらすことなどできない」とは考えないところにある。質的調査の結果を示す中で証明してきたように、北村は、上述のとおり、英語は女性に変化をもたらすこともあればもたらさないこともある、と結論づける。そして例え英語が「主人の道具」であったとしても、それを巧みに使えば「主人の家」を内側から食い破ることもできる、と述べる。獅子身中の虫のように。ここで北村は「主人の家」の比喩が何を指すのか明言はしていないが、おそらくそれは「日本の家父長制(男性)社会」であり、国際社会で覇権を握る「英語圏の(家父長制)社会」なのであろう。

ちなみにハワイに留学していた北村は、程度は不明だが英語ができるのであろう。それゆえか、「トリック・クエスチョン」(p. 15;「トリッキー・クエスチョン」の間違いか)や「Says who?」(p. 40)といった英語を使わなくともよい場面で英語を使っており、やや鼻につく。残念だ。
  
今回はインタビュー対象を女性に絞った北村だが(上野ゼミにいたので当然といったら当然だが)、次回は英語に関わる男性の調査もぜひ行ってほしいところ。裏表紙の織り込み部分の著者紹介をみると専門は「ジェンダー研究」とある。言うまでもなく、ジェンダーは「男性」と「女性」の双方を、そして双方の関係性を扱う学問である。

尚、本書と合わせて藤田結子の手による卓抜な学術書『文化移民―越境する日本の若者とメディア』も読めば、互いの書が足りない部分をお互いが補完するだろう。同書も私たちにディーテールを読む楽しみを思い出させてくれるし、なぜ留学男性に比べて留学女性がそのまま海外(藤田の研究の場合、ニューヨークとロンドン)に居残る傾向が観察されるのか、分かってくる。もちろん、これも言うまでもなく「ジェンダー問題」である。

2015年2月17日火曜日

現役通訳者が書評をしたら【20】『だから英語は面白い 会話上手はユーモアから』


201333日、雛祭り。この日、偉大な通訳者がまたこの世を去った。その名は村松増美。享年82歳だった。

西山千、國弘正雄、小松達也、鳥飼玖美子と並び、日英同時通訳者の先駆けで、通訳学校・通訳者派遣会社として知られるサイマル・インターナショナルの創設にも関わった人物。

村松は国際的に通訳業に従事する中で、異文化コミュニケーションの潤滑油としてユーモアが欠かせないことに気づく。その気づきがきっかけとなって生まれた本書『だから英語は面白い 会話上手はユーモアから』(1999年、PHP研究所)には英語のユーモアが満載で、まるでジョークの万華鏡をのぞいているかのよう。

なかでもお腹をかかえて笑ったのは、ジョークに対する反応の国民性による差異を描き出したもの。いわゆる「メタ・ジョーク」である:

When a Frenchman hears a joke, he laughs when the joke is only half told.(フランス人はすぐオチが分かってしまうから、あるいは不躾だから)
When an Englishman hears a joke, he waits until it is finished and then laughs.(イギリス人は礼儀他正しいから、あるいは頭が硬いから)
When a German hears a joke, he philosophizes over it all night and laughs next morning.(ドイツ人は理詰めするから)
When a Japanese hears a joke, he just smiles without understanding it.(説明するまでもないでしょう…ちょっと失礼?)
When an American hears a joke, he doesn’t laugh – because he has already heard them all.(これらは実はアメリカ人がつくったジョークだそう!)

アメリカ人についてのジョークは別のバージョンも:
When an American hears a joke, he tells you it’s an old joke, and he knows a better one.

いかがでしょう。

またユーモアのみならず、私が通訳のトレーニングを受けたモントレー国際大学院があるカリフォルニア州モントレーについてのトリビアもあった。知らなかったのが、"Monterey"カナダのモントリオール(Montreal)と同じく"monte""rey"に分けることができ、"monte"は山(mountain)に、"rey"は王様(king)に由来していたこと19857月に隣接する町で国際会議があった際、モントレーに寄られている村松さんだが、当時、モントレー国際大学院の翻訳通訳大学院日本語プログラムはすでに存在していたようなのでで、村松氏ももしかしたら来校されて講演や講義を行ったのかも知れない。

ちなみにモントレーは丘状になっているが山では決してなく、またなぜ王様という意味の語が地名に入ることになったかも不明。ユーモアの極意を学べただけでなく、地名の成り立ち・由来にも気を配ればもっと自らの視点が広がるbroaden my horizonsのでは、と思わされた書でもあった。