2015年3月16日月曜日

現役通訳者が書評をしたら【23】『ハーバード白熱日本史教室』



北川智子さんの『ハーバード白熱日本史教室』(2012年、新潮社)を読んだ。日本では一時、ハーバード大学マイケル・サンデル教授による「ハーバード白熱教室」(NHK)が話題になったが、タイトルはそのパロディといってよい。

「パロディ」「二匹目の泥鰌」というと聞こえが悪いが、読み始めるとページを繰る手が止まらない。

印象派歴史学(鳥瞰的に歴史を見る歴史学の一派)に属する北川さん。彼女の代名詞といっていいコンセプト“Lady Samurai”は、一言で言えば「戦わずに、かつ陰で大いに活躍する女性たち」(p. 71)であり、「殺されない性」(p. 73)。従来の歴史学ではこのような女性たちは男性に依存する存在として描かれてきた。しかし実は、われわれが思う以上に広範な影響力を持ち、女性らしさよりもサムライらしさを反映していた存在であった。

北川さんの学生さんたちがよく思い浮かべるLady Samuraiは、たとえば映画「キル・ビル」の主人公たち。しかし北川さんが想定するのはたとえば豊臣秀吉の妻ねい(通称ねね)であり、ねねの周辺にいた女性たち。彼女たちの書簡などを読み直すと、彼女たちが確固たる存在理由のあった人物であることが浮かび上がってくるのだ。英語では"Lady Murasaki"となる紫式部も、Ladyの単語が共通していることから類推できるように"Lady Samurai"の1人である。
 
なお、北川さんの定義を逆立ちさせれば、男性=サムライは表舞台には立てたが、「殺される性」でもあったことになる。 私は「殺される性」に属するのだ・・・。

彼女の研究目的は「武士道を批判するのではなく、まずは武士道の陰に隠れてきた武士階級の女性にスポットライトを当て」(p. 60)ることであり、「その上で、彼女たちの生き方と死の意味を考え」(p. 60)るもの。最終的には「フェミニストのように男女同権的な立場をとるのではなく、どのようにサムライとLady Samuraiが日本の歴史をつくっていったのか、サムライで完結した日本史を超える日本史概論、専門用語でいうと『大きな物語(grand narrative)』を描き出すこと」(p. 60)を目指す。

ここで気になるのが北川さんのフェミニズム観である。私は少なからずフェミニズムを勉強したが、すべてのフェミニストがあらゆる側面で男女同権を目指しているわけではない。また北川さんは
「『Lady Samurai』のクラスは、女性が史実にどう現れたのか、まずはジェンダー研究の手法で女性に関する史料を読むことから始め、そこから見えてくる新しい要素をあつめて物語にしたものです」(p. 90)と述べるが、ジェンダーに敏感でフェミニズムには鈍感な人、というのは矛盾語法のように聞こえる。ここから北川さんのやや浅薄なフェミニズム理解と、自分は世間で言われるような「フェミニスト」ではない、と線引きする様子が垣間見れる。


名門プリンストン大学の博士課程を3年という短期間で修了し、現在はハーバード大学で教鞭をとる北川さんは、傍から眺めると順風満帆な人生を送っているようにみえる。しかし北川さんはハーバードで5つのハンデを抱えていると言う。その5つとは、(1)女性であること、(2)若いこと、(3)アジア人であること、(4)英語が母国語ではないこと、(5)終身在職権(tenure)がないこと。しかし北川さんは柔軟な思考でそれらをうまく逆手に取り、反転させる戦略で乗り越え、これまで「ベスト・ドレッサー賞」のみならず「思い出に残る教授賞」まで授与されている。

異国の地でガイジンとして前進を続ける北川さん。同じ立場にある者として、さらなる飛躍を願わずにはいられない。

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