2015年5月26日火曜日

現役通訳者が書評をしたら【24】『日本語で読むということ』


私は日英通訳者だが、日英通訳者は日本語と英語のはざまに生きる存在。だからこそ水村美苗の『日本語で読むということ』(2009年、筑摩書房)が書店で目に入った。

「あとがき」によると、著者がもともと想定していたタイトルは『日本語で読む・日本語で書く』。そのための「巻頭エッセイ」を書いていたが、想定外に量が増えた結果、そのエッセイは論争を呼んだベスト・セラーであり、英訳もされている『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』(英訳タイトル:The Fall of Language in the Age of English[2015, Columbia University Press])として日の目をみた。一方、『日本語で読む・日本語で書く』は『日本語で読むということ』と『日本語で書くということ』に二分割されることになった。今回取り上げる本はこうして生まれたのである。

エッセイ・評論集である本書は、青春期をアメリカで過ごさざるを得なかった人間が獲得した、2つの文化で挟まれる中で生成された視点から眺めた日本語・日本文化・日本文学をめぐる一冊となっている。

たとえば水村は日本文化についてこう言う。

旧いものが消え、新しいものが生まれ、時のながれに文化が変容していくのはあたりまえである。だがあまりに多くのかけがえのない〈形〉を、ここまで平気で壊してきた日本が私にはひたすら悲しい。ただその日本にも、日本を「発見」し、日本の〈形〉をひきつぐことにお金にもならないのに一生をかけている人たちがいる。日本に永住の地を求めてもどってきたこの私を慰めてくれるのは、ほかならぬ、そのような人たちの存在である。(148-149頁/「日本の『発見』」[147-149頁、初出:1994年])。

ボクも日米のはざまで生きる(そしてそれは必ずしも心地いいものとは限らない)存在であり、水村の気持ちがよくわかる。西欧社会は資本主義的であり、したがって破壊的な部分が取り沙汰されがちであるが、とみに建物に関しては古いものをできる限り保存し、それを改築しながら使用していく文化である。いったんそのような文化に触れると、日本が如何にスクラップ&ビルドの国であるかを思い知らされる。少なくとも住宅に関しては。

またアメリカは孤独の国でもある。行き過ぎた個人主義の結果、また自由を尊重するがゆえの政府不介入の原則(=夜警国家、レッセフェール)により、国民はバラバラなfragmented存在となった。だからこそ公共交通機関は発達しないし、国民皆保険もオバマケアを待たねばならなかったのである。

アメリカに憧れていた若いころ、思いがつのって桐島洋子『淋しいアメリカ人』を耽読していたが、実際にアメリカに来てみると、本当にアメリカ人は孤独で淋しい存在であると実感する(だからこそ逆説的に家族を大切にするようになる)。

水村もそれを認識している。水村は『私小説from left to right』を執筆したきっかけに触れながら、

「あのしんしんと雪の降る夜の孤独―[中略]アメリカという国そのものの孤独」
191頁/「灼熱のインドと雪夜のアメリカ」[189-191頁、初出:1995年])

とアメリカを描写する。水村にとって、日本を考えることは、翻ってアメリカを考えることでもあった。彼女にとって両文化は車輪の両輪であり、コインの両面であり、かつ合わせ鏡の中にいるように、1つの文化を眺めることは、もう1つの文化を眺めることでもある。

そんな水村は、『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』でよりはっきり述べたように、世界が英語で覆い尽くされてしまうのではないか、という危惧を抱いている。だからこそ日本語を保存しなければ絶滅してしまうのではないか、という危機感を強める。

英語の世紀に入った今、英語の世紀が続く今、私たちの日本語は、[中略]そこへと帰っていきたいと思わせる言葉であり続けられるか。そこに自分の精神の跡を刻みつけたいと思わせる言葉、その土壌こそを豊潤なものにしたいと思わせる言葉であり続けられるか。
この問いを問わねばならないのは、今、すべての日英語圏の人間の宿命なのである。(235頁)

少し強迫神経症的にも聞こえるメッセージに「歴史をみれば時代の変化はゆるやかであり、したがって慌てる必要はない」と思う人たちがいるかも知れない。でも時代の流れを敏感に感じとるのは、作家や詩人のような鋭敏な感覚の持ち主であることを、これまた歴史は教える。ボクは社会科学で博士号を取得したが、「言うまでもなく、社会科学者の直観よりは、文学者の直観の方がずっと先を行っている」(上野千鶴子『女という快楽』〔新装版〕、2006年、勁草書房、p. 17)のである。

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