2013年4月8日月曜日

現役通訳者が書評をしたら【2】『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』

一時話題を呼んだ『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(遙洋子)を再読した。著者でありタレントである遙が上野ゼミで学んだ数年間を面白おかしく書き綴った本。「本当の」遙と「書く」遙は違うだろうけど、その文章の底抜けの明るさに何か癒された。

一番印象に残っているのは逆説的だけど「本文」ではなく「あとがき」のこの言葉。「強くなるということは、言葉に振り回されない自分を作るということ」(p. 248)。きっと僕は弱いから言葉に振り回されるんだろうし、言葉に振り回されるから弱いんだろう。じゃあ、どうしたらいいのか?残念ながらこの本は処方箋を与えてはくれない。

ここで思い出すのが哲学者ジュディス・バトラーの『触発する言葉 言語・権力・行為体』。なぜ私たちが差別語に傷つくのか、という問いに1つ の回答を与えてくれる。差別語は差別語が投げかけられた人の「主体」(≒アイデンティティ)を構築するという意味で「必要悪」である。したがって「強くなるには」、そし て「言葉に振り回されない」ための第一歩は、それが傷つく言葉であってもその言葉をいったん受け入れれば自らの「主体」が構築され、それによって何らかの行動を起こすことができる、このことを頭だけでなく体で理解することだろう。

強くなりたい。

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