2013年5月5日日曜日

現役通訳者が書評をしたら【8】『ゲイ・スタディーズ』

「ゲイとは?」。そう聞かれて「陽気なという意味だろ?」と答えたアナタは英語の達人。同性愛者たちは、それまで自分たちのラベルとして与えられてきた「ホモhomo」という蔑称に対抗するため、「陽気な」を意味する「ゲイgay」という言葉を自分たちに宛がい、集団としてのアイデンティティを構築することでホモフォビア(同性愛嫌悪)に抵抗する手段としてきた。

ニューヨークのBookOffでみつけて購入した『ゲイ・スタディーズ』(キース・ヴィンセント、風間孝、河口和也)は、ゲイ・アイデンティティ、ホモフォビアの構造などに歴史的、理論的、実践的に取り組んだ労作。彼らが所属する(していた?)「動くゲイとレズビアンの会(略称アカー)」で2年間にわたって開催された「アイデンティティ研究会」での議論に基づいて執筆されたという本書は、同会で繰り広げられたであろう熱い議論が紙面から伝わってくる。

アカーはは1990年2月に東京都立「府中青年の家」(現在は閉鎖)を宿泊利用した際、同性愛者の団体であるという理由だけで他の宿泊利用の団体から嫌がらせを受けた。そのためアカーは裁判に持ち込み、一審での完全勝訴に続き、1997年の東京高裁でも全面勝訴を勝ち取った。

この1997年に出版されたのが同書である。この本は3人の著者によって執筆されていることもあり、内容が多岐に渡るが、一貫しているのは「異性愛者/同性愛者の二項対立を疑い続けよう」というメッセージである。二項対立が存在する場合―たとえば男性/女性、人間/自然、そしてもちろん異性愛者/同性愛者―、この左右の項は決して平場の関係にはなく、逆に権力関係にある。言い換えれば、男性=女性、人間=自然、異性愛者=同性愛者、ではなく、男性>女性、人間>自然、異性愛者>同性愛者なのだ。

そして左側の項―男性、人間、異性愛者―は自分たちのアイデンティティを顧み、悩む必要はない。なぜなら右側の項―女性、自然、同性愛者―というカテゴリーを構築し、差別することで成り立っているからだ。したがって押し付けられたアイデンティティに悩まなければならないのは左側の項、被差別者たちとなる。

しかしここで一歩引いてこの問題をみてみると、左側の項がなければ右側の項のアイデンティティもなくなってしまうのではないのか、ということに気づく。女性がいなければ男性もいないのでは?同性愛者がいなければ、異性愛者もいないのでは?こんなワクワクする、目鱗の問いかけと議論が本書を通じて行われている。

What's your sexuality?

0 件のコメント:

コメントを投稿